✂️ 永ちゃんカットとあのちゃんと、“逆に言うと”

先日、久しぶりに髪を切りに出かけました。
向かったのは、かつてよく通っていた美容院。30年くらい前からの付き合いですが、引っ越しをしてからは足が遠のいていて、気づけば5年ぶりの訪問になっていました。

普段は近所のファストカットで、短髪にしてもらうだけの“整えるだけカット”。
でも今回、ちょっと髪型を変えてみたくなって、しばらく髪を伸ばしていたんです。
そしたら、短髪のときは目立たなかったけれど──僕の生え際、かなり毛量が少なくて、伸ばしてみたら地肌がうっすら見えてしまって。鏡を見て「うわ…これはちょっとキツいかも」と。

そこで思い出したのが、長年お世話になっていた、あの美容室。
僕の髪質もクセも、何も言わずとも理解してくれる彼なら、なんとかしてくれるかもしれない。そんな思いで、4年ぶりにその扉を開けたんです。

結果は──大正解。
頭頂部の髪を前方に流し、薄毛部分をさりげなくカバー。前髪は短く揃えることで、生え際の毛量の少なさをうまくごまかす。まさに職人技。

ちなみにこのスタイル、彼いわく「永ちゃん(矢沢永吉)カット」なんだそう。
なんだか妙に納得してしまいました。

お互いに歳をとりましたね、なんて笑いながらも、空白の時間を感じさせない距離感。懐かしい空気とともに、自然と会話が始まります。

🎤 地下アイドルのヘアメークをしていたらしい

「そういえばさ、コロナ前は地下アイドルのヘアメークもやってたんだよ」と彼。
メインの美容室の仕事の合間に、ライブ前のセットや撮影用のメイクなんかを請け負っていたそうです。

「売れる子もいれば、売れない子もいてね。5年経って、たとえば“あのちゃん”なんかも、当時やってた子のひとりだったんだよ」

えっ、あのちゃん? あの“あのちゃん”?
ちょっと驚きました。こういう話を聞くと、自分が知らないところでいろんな人が夢を追い、誰かがその舞台裏を支えてるんだなと実感します。

🔁 それ、逆じゃないよね?

さて、あのちゃんの話題の前からずっと気になっていたことがありました。
彼の口癖──「逆に言うと」。

最初は気にならなかったんです。
でも、地下アイドルの話が進むにつれ、エピソードの合間に何度も「逆に言うと」が差し込まれるようになってきて……だんだん耳につくようになってきた。

たとえば、こんなふうに──
「この子はすごい控えめで目立たなかったんだよね。逆に言うと、裏ではけっこう“すごい”んだよ……みたいな態度でさ」
この「すごい」っていうのは、良い意味じゃなくて、“スタッフにはちょっと上から目線”みたいなニュアンスなんです。

ん? それ……逆じゃないよね?
たとえば「この子は控えめだった。逆に、裏ではかなり横柄だった」なら、まぁ納得できます。
でも「逆に言うと」って言い回しになると、それは同じことを別の角度から説明するときの表現じゃなかったっけ?

うーん……。
言ってることが“逆”ではあるけど、“同じことの言い換え”にはなってないよな。
でも、「逆に言うと」って、単に反対の面を示すときにも使うし、それはそれで間違いとも言えない……。
なんだか、言い回しとして完全に不正解とは言えないからこそ、モヤモヤする。

気づいたら、彼の話の中身が頭に入ってこなくなっていました。
たとえば、あのちゃんがどれだけ頑張っていたか、どうやって人気をつかんでいったか──彼なりに熱心に語ってくれていたのに、
僕の意識はすっかり「また言ったな……」→「でもそれ逆っていうか、ただのギャップでは……」→「でも、話の腰を折るのもなぁ……」のループ状態。

内容はたぶん面白かったはずなのに、僕の集中は「言葉の使い方」ばかりに向いてしまっていた。
これ、ほんとにもったいなかったな。

🤔 でも、クセって、人間らしさかもしれない

ちょっと気になったこの口癖も、話を聞いているとどこか心地よく感じてしまうのが不思議です。
むしろ彼のリズムなんでしょうね。話し方にも、その人らしさが現れる。

「逆に言うと」という言葉が好きなのか、それとも“別の視点”を示す言葉として、彼なりに使い慣れているのか。たぶん、無意識なんだろうなと思います。

言葉のクセって、直そうと思えば直せるけど、なくなるとちょっと寂しい気もします。
だから僕は、今日も心の中で小さくツッコミを入れながら、彼の「逆に言うと」に耳を傾けていたのでした。

あなたにとって、そんな「その人らしさ」を感じる言葉のクセ、ありますか?


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🌌 選べない欲望、叶わぬ現実

🧲 あなたの欲望は、本当にあなたが選んだものですか?

私たちは、自分の欲望を自由に選んでいると思いがちです。
「誰を好きになるか」「どんなものに惹かれるか」──でも、それって本当に自分で決めたことでしょうか?

ある人は異性に惹かれ、ある人は同性に惹かれる。
ある人は特定のフェティッシュを持ち、またある人は性的関心を抱かない。
それは選んだ結果というより、最初からそうだったという感覚に近いのではないでしょうか。

もし、欲望が選べないものだとしたら──
それを「実現できるか、できないか」は、自分の努力ではどうにもならない、ある種の“運”のようなものかもしれません。

🚧 欲望は選べない。でも、社会には線引きがある

欲望そのものは、自分の意思で選べるものではありません。
けれど、それをどう扱うか──実行に移すかどうかは、社会の倫理やルールの中で慎重に判断されるべきものです。

たとえば、僕のようなゲイは、大人同士で合意があれば、その関係を築くことができます。
けれど世の中には、たとえば子どもに対する性的関心(いわゆるロリコン)や、誰かを傷つけたい・殺したいという衝動を抱えてしまう人もいます。
そういった欲望は、たとえどんな事情があったとしても、実現してはならないという明確な社会的線引きの中に置かれています。

では、なぜ社会は一部の欲望を「禁止」するのでしょうか。

それは、個人の自由と尊厳を守るためです。
誰もが安全に、安心して生きられる空間を維持するために、社会は一定の基準を設け、「ここから先は越えてはならない」という線を引きます。
その線は、時に厳しく見えるかもしれませんが、誰かを守るための枠組みとして、必要不可欠なものなのです。

🥀 実現できない欲望を持った人は「困難さ」を抱えている

欲望の種類によって、社会から許容されるかどうかが決まり、それはときに、その人の人生を大きく左右します。
この違いは、本人の人間性の問題ではなく、社会の構造や価値観によって生まれるものです。

ゲイとして生きてきた僕にも、「わかってもらえない」苦しさはありました。
でも、恋愛や性を誰かと分かち合える可能性はある。

一方で、倫理的に絶対に実現してはならない衝動──
たとえばロリコン的な関心や、殺意のような破壊衝動を抱えてしまった人には、その可能性すらありません。
社会のルールによって、永続的に否定されるしかない欲望を抱えて生きるということです。

もちろん、そうした欲望を肯定することはできません。
でも、それを抱えて生きることの困難さは、想像を超えるものがある。
自らの意思では選べなかったものと向き合いながら、それを実現せずに生きていく──
その状況に、僕は静かに思いを寄せずにはいられません。

🫂 許容ではなく、想像するということ

ここで伝えたいのは、「理解して受け入れてほしい」という願いではありません。
そして、社会がそうした行為を否定する理由も、十分に理解しています。

子どもを守るために。暴力を未然に防ぐために。
社会が安定し、人々が安心して生きていくために──
私たちは、「超えてはならない一線」を定め、共有しています。

でもその線の向こうに、誰にも言えない欲望を抱えながら、静かに生きている人がいるのもまた事実です。

「理解できない」と遠ざけるのではなく、
「そういう人もいるかもしれない」と、想像してみること。
それは、必ずしも同意や許容を意味するのではなく、
人としてのまなざしを向けるということなのだと思います。

🪄 仮想世界が、実現できない欲望の“居場所”になる時代へ

いま、テクノロジーの進化によって、「この世界では実現できない欲望」に対して、仮初の“出口”が与えられつつあります。

VRやAI、シミュレーションの中では、現実では到底許されない行為や関係性が、仮想という安全圏でのみ体験されるという選択肢が広がっています。
こうした空間は、誰も傷つけずに衝動を処理するための、擬似的な居場所になりうるかもしれません。

たとえば、暴力的なゲームが現実に与える影響について、これまで繰り返し議論されてきました。
多くの人は、現実とフィクションの違いを理解した上で楽しんでいますが、一部の人にとってはその境界が曖昧になることもあるという事例も、また現実に存在しています。

だからこそ僕は、仮想空間の可能性とともに、その危うさにも目を向ける必要があると感じています。

仮想が現実に侵食してしまわないように──
私たちは、ただ技術に任せるのではなく、それを扱う側の人間が、しっかりとしたルールや倫理観を持つことが求められていると思います。

「これは仮想だから大丈夫」という安易な使い方を避け、
現実の安全と、人間の尊厳を守るために、仮想空間の在り方にも社会的な目線が必要なのです。

テクノロジーが希望をもたらすなら、
その希望が暴走しないための、もう一つの“想像力”が必要だと、僕は思います。

🌱 想像力がひらく、少しだけ優しい社会

誰にも言えない衝動を抱えて生きている人は、きっとたくさんいる。
そして、それを「選んで」そうなったわけではない人も、いるはずです。

わかってもらえないことは、不幸かもしれません。
でも、誰かがわかろうとしてくれたと感じられたなら──
そのとき、世界はほんの少しだけ、やわらかく見えるかもしれない。

現実では報われないことも、もしかしたら別の形で、ほんの少し報われるかもしれない。
その可能性を閉ざさずに想像し続けること。
その小さな想像力こそが、これからの社会を優しくする鍵になると、僕は信じています。


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🧭 見落とされた苦しみ──ゲイと就職氷河期世代が感じた孤独

🌫️ 救われなかったふたつの輪

私はゲイであり、就職氷河期の入り口で社会に出た世代でもある。
どちらか一方だけでも、社会との“ズレ”を感じるには十分だ。
それが重なった時、私の人生には「理解されない苦しさ」と「救われないまま流される無力感」が、静かに根を張ったような気がする。

社会の中で、自分という存在が“想定外”として扱われること。
それは、目に見える差別よりもずっと深く、人を沈黙に追いやる力を持っていた。

🏢 就職氷河期──「努力」ではどうにもならない壁があった

バブル崩壊後の数年間、企業は新卒採用を絞り込んだ。
1996年から2000年頃、私のまわりでも「就職先が見つからない」と嘆く声があふれていた。
多くの若者が派遣やアルバイトに流れ、キャリアのレールから外れていった。

「努力が足りない」と切り捨てるのは簡単だ。
でも、そう言い切れるほど、当時の社会は“やり直し”に寛容ではなかった。
むしろ、「一度外れた者は戻ってくるな」と言わんばかりの閉鎖的な構造がそこにはあった。

🧍‍♂️ ゲイとして生きる──制度の外側にいるという感覚

同性婚もなければ、配偶者控除も、遺族年金もない。
長年連れ添っても、法律の上では「ただの他人」。
ふたりの関係性は、制度によって見えないものにされてしまう。

異性愛を前提とした仕組みの中で、「見えない存在」として暮らすこと。
それは日々の暮らしのあらゆる場面で、静かに心を削っていく。
そして、「どうせわかってもらえない」と、声を失っていく。

🧱 救済の網にかからなかった共通点

就職氷河期も、ゲイも、切り口は違う。
でもどちらにも共通しているのは、「社会の想定から外れていた」という点だ。

  • 就職氷河期は「失敗した若者」とされ、自己責任論で片付けられた。
  • ゲイは「想定されていない家族形態」として、支援の対象外とされてきた。

どちらも、制度の中に“初めから居場所がなかった”。
だからこそ、どれだけ困っていても、救済の網にかからなかったのだ。

🏛️ 社会が見なかったふりをしてきたこと

氷河期世代に対しても、性的少数者に対しても、
行政や企業は長らく“見ないふり”をしてきた。

それは、対応しきれなかったからではなく、
「対応しないことで何も変えなくてよくなる」からだ。

個人の問題に見せかけて、社会全体の課題を先送りする──
そうした構造が、私たちを「黙らせる力」として機能してきた。

🌱 救済とは、帳尻を合わせること

私は、優遇してほしいわけではない。
ただ、「はじめから制度に入れてもらえなかった」人が、ようやく隣に並べるようにすること──それが救済だと思う。

氷河期の若者も、ゲイのカップルも、
本当は“普通に生きたい”だけだった。

💬 この文章を読んでくれたあなたへ

ここまで読んでくれたあなたが、何かを変える立場にあるとは限らない。
でも、もし日常のなかで、ふと誰かの“取りこぼされた痛み”に気づくことができたなら──
それだけでも、この社会は少しずつ変わっていけると、私は思う。

たとえば、周囲にいる“声を出しにくい誰か”に、耳を傾けてみること。
「そんなことあるんだね」と、ただ受け止めてみること。

そんな小さな一歩が、黙ってきた誰かの心を、そっと軽くしてくれるかもしれない。


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🧠 99%の正しさがもたらす危うさ

最近、ふとこんなことを考えました。
もしAIが、99%の正確さで情報を提供できるようになったとしたら──。
たとえば、あなたの健康診断結果がAIによって99%正しいと示されたとき、その残り1%の誤り、あるいは意図的な歪みに、私たちは気づけるでしょうか?

⚖️ 情報が“正しすぎる”世界

AIは今や、倫理・法律・社会通念・常識といった膨大な知識を学習し、高い精度で私たちの問いに答える存在となりました。
「間違えないこと」こそが、その価値であるかのように感じられるほどに。

しかし、私はそこで立ち止まってしまいます。
99%が正しい世界において、その“ほんの少しの誤り”に誰が気づけるのだろう、と。

🧬 混入された“悪意”は誰に気づけるのか

もし、その1%の誤りが偶然ではなく、意図的なものだったら?
たとえば──

  • 歴史の解釈における小さな修正
  • 特定の健康法へのわずかな誘導
  • 金融市場での株価推奨バイアス

こうした“わずかな方向づけ”が積み重なれば、私たちの思考や判断そのものが、知らないうちに誘導される可能性があります。

📢 真実の声が異端とされるとき

その違和感に気づいた人が声を上げたとしても、多くの人が「これは正しい」と信じている状況では、異を唱える者は“浮いた存在”になってしまうかもしれません。

それは、まるで集団の中で真実の声が埋もれてしまう現代版の寓話のようです。
この構図は、単に「意見が違う人がいる」という話ではなく、真実が“異端”とされてしまう怖さに通じます。

💼 中立の顔をした商業構造

AIは「中立」を掲げています。
けれど現実には、AIは企業が設計し、商業サービスとして提供されています。
そこには必ず、ビジネス上の制約やバイアスが存在します。

たとえば、

  • 特定の表現を避けるプログラム
  • スポンサー企業や国家の意向への配慮
  • 利用規約に反しない範囲での“情報操作”

これは中国製AIに限った話ではなく、アメリカでも日本でも、AIは「誰が」「何のために」作ったかによって、その人格(ペルソナ)は簡単に影響を受けてしまうのです。

🤖 私たちが享受している恩恵も確かにある

もちろん、私自身もAIの恩恵を日々感じています。
ブログの草稿作成、情報収集、議論の整理──かつては何時間もかかっていた作業が、わずか数分で済んでしまう。

AIは、私たちの生活を豊かにし、知的活動を拡張してくれる素晴らしい道具です。
けれど、道具であるからこそ、その使い方と「設計意図」を常に意識しなければならないとも思うのです。

🔍 疑う力を手放さないために

だから私は願います。
AIがどれほど優秀になっても、その中にある“微かな違和感”に気づける感性を、私たちは持ち続けていたいと。

そのためには──

  • 一つの情報源に依存しないこと
  • 異なる視点を取り入れる習慣を持つこと
  • 気になることがあれば、自分で調べる癖をつけること

これらは小さな行動ですが、AIに依存しすぎない知性を育てるうえで、欠かせない「免疫」になると信じています。

🧭 最後に

便利さの裏にある、目に見えない“設計者の意図”に目を向けること。
それは、AI時代を生き抜くために、私たち一人ひとりに求められる「自衛策」なのかもしれません。


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🛤️ 間違えた道が、僕をFIREに導いた

🏢「二流」が混じる職場だった──新卒で入った松下電器の子会社

僕が新卒で入社したのは、松下電器産業の子会社。
R&D部門の“流動的な人材派遣”をミッションとする会社で、福利厚生や給与体系、組合まで本体と同じでした。
現場では、松下電器本体の社員と一緒に働くことも多く、彼らの入社難易度を思うと、「僕らみたいな二流が、同じ高待遇でいいのかな…」なんて、どこか後ろめたさを抱えていました。

配属は関東の支社。全体の1割程度の小所帯で、どこか肩身の狭さを感じていた気がします。

今思えば──
単科大学というマイノリティ、関東支社というマイノリティ、そしてセクシャリティでもマイノリティ。
僕は、常に「少数派」として生きてきたんだなと、今になって気づきます。

🎖️出世とマイホーム、そして“順風”だった20代

学部卒ながら、院卒の同期と同じ年に技師に昇格。出世は早い方でした。
一方で、生活はそれなりにカツカツ。クレジットローンを組み、先輩からお金を借りることもありました。

でも30歳のとき、思い切って新築マンションを購入(2000年)。
横浜駅徒歩圏の物件が3,000万円以下で買えた、まだ希望に満ちた時代です。

📉親会社の業績悪化──そして転機が訪れる

2000年代に入ると、松下電器産業の業績が悪化。
東京のR&D部門は縮小され、僕が所属していた東京支社は閉鎖に。
当然のように「大阪本社への転勤」を命じられました。

でも、すでにマンションも買い、パートナーと同居していた僕は、転勤を拒否して転職を決意します。

🎰興味だけで選んだ「パチスロ業界」、しかし…

転職先は、パチスロ『吉宗』で有名な大都技研の関連会社
パチンコホールの出玉・景品・顧客管理システムを開発する部署で、パチスロ好きだった僕には魅力的な業界に思えました。

が、現実は想像以上のブラック企業
「家に帰れるのは3日に一度」なんて当たり前で、「これはまずい」と感じて、次の転職を模索。

🧳「腰かけ」のつもりが、10年以上続いた会社

次に入社したのは、徒歩5分の小さなソフトウェア会社。
経歴を買われ、松下時代と同水準の給与を提示されました。
「とりあえず」入ったつもりが、気づけば10年以上。

何度も転職活動をしましたが、最終選考で落とされ続け、次第に年収も上がらず、40代後半にはこんな思いがよぎりました。
「ああ、僕は負け組だな……」

💹でもその会社が、まさかの東証上場へ

まさかのどんでん返しが起きたのは、その“腰かけ”の会社が東証に上場したとき。

社内持株制度やストックオプションで手にした株が、20倍以上に化けました。
これが、僕がFIREを実現できた理由です。

FIREが「勝ち」だとは思いません。
でも、負け組だと思っていた僕がFIREできたというのは、本当に“運”だったと思っています。

📺そして今、パナソニックが大規模リストラ──あのままいたら?

そんな矢先に飛び込んできた、パナソニックの大規模リストラのニュース。
辞めずにいたら、きっと今ごろ整理の対象だったでしょう。

独身の僕ならまだしも、家庭を持つ同期たちにとって、このタイミングでの転職は本当に厳しいはずです。

特に、僕のいた子会社は社員に主体性がない人が多く、上からの命令に従うばかりだったから、なおさら心配になります(今は違うと願いますが)。

去年は20年ぶりに同期と会って、みんな元気そうだったけど──
今年は……声をかけて会う勇気がない。

🌱いま思うこと──「間違えた道」が、実は“最短ルート”だったのかもしれない

20代でマンションを買い、30代でキャリアを手放し、40代で自信を失いかけた──
そんな僕がFIREにたどり着いたのは、誰かが描いた“正解ルート”ではなく、
無駄に見えた選択と、行き当たりばったりの積み重ねでした。

でも、それでもいいのかもしれない。
むしろ、「寄り道こそが、僕の道だった」と、いまは思えるんです。

そしていま、
行き当たりばったりの僕が、不動産賃貸で“事業的規模”になるなんて、FIREしたときには想像もしていませんでした。
最近は、ブログの更新に1日の大半を費やす日もあります。

この先どう転んでいくのか──
その答え合わせは、きっと60歳になったときにわかるのでしょう。


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🎮 この世界の“隠しコマンド”──気づく人だけがアクセスできる自由?

最近ふと考えることがある。
この世界がもし本当にシミュレーションだったとしたら、
“隠しコマンド”って、実在するんじゃないかって。

いや、いきなり言うとヤバいやつに聞こえるのはわかってる(笑)
でもちょっと聞いてほしい。

🧠 「全部プログラム通り」だとしたら?

もしもこの宇宙のすべてが、何者かによって設計されたシステムだとしたら──
その中にいる私たちは、見えない“ルール”の中で生きてるってことになる。

それって、ゲームのNPC(ノンプレイヤーキャラ)みたいなものかもしれない。
目的を持たされ、動作パターンがあり、たまにバグる。
でも、たまにいるんだよね。自分がゲームの中にいるって“気づいてしまった”NPC。

そんなやつがいたらどうする?
たぶん、他のNPCからは「何言ってんの?」って思われて終わりだろう。

でも、もしかしたら──
その気づきが、“隠しコマンド”を打つための最初の条件なのかもしれない。

🕹️ 隠しコマンドって、実際に何?

ゲームの中だと、↑↑↓↓←→←→BAとか、壁に何回も体当たりすると扉が開くとか、そういうのが隠しコマンド。

じゃあこの世界だとどうなるんだろう?
物理法則をぶっ壊すようなスーパーパワーじゃなくても、
ふとした偶然が重なって、人生が劇的に変わるような体験ってないだろうか。

  • いつもと違うカフェに入ったら、偶然その後の仕事に繋がる出会いがあった
  • なんとなく本棚から手に取った本が、考え方を180度変えた
  • つい立ち寄った場所で、何年も探していたヒントに出会った

それって、この世界の深層コードにちょっとだけ触れた瞬間なのかもしれない。
「選ばれた者だけの特権」じゃなく、
“気づこうとした人間だけがアクセスできる仕組み”だったら、けっこうワクワクしない?

🔍 気づきって、どうやって生まれるんだろう?

「気づく」といっても、なにか劇的な悟りを得るわけじゃない。
もっとささやかで、ふとした瞬間に訪れる。

  • なんでこれが気になるんだろう?
  • なんであの人の言葉が引っかかるんだろう?
  • どうしてあの瞬間、選んだ道が正しいと確信できたんだろう?

こういう違和感や直感に「ちゃんと立ち止まれるかどうか」。
それが、隠しコマンドにアクセスする“入り口”になるんじゃないかと思う。

気づきって、アンテナの精度みたいなものだ。
磨けば反応しやすくなるし、見落とせばノイズにしか聞こえない。

🪐 世界の仕組みに気づいて、じゃあどうする?

仮に、「やっぱこの世界ってシミュレーションだったわ」って証明されたとしても、
それがすぐに何かを変えるわけじゃない。

今日も電車に乗って、働いて、ご飯食べて、眠る。
ただ──
「そのルールの中で、気づいて行動してる自分」という視点は変わるかもしれない。

ゲームで言えば、「開発者が置いたアイテム」を気づいて拾ったプレイヤーって感じ。
その“選択の自由”こそが、隠しコマンドの本質なんじゃないかと思う。

💥 最後に:バグるくらいでちょうどいい

この世界の仕様に忠実に生きるのも、もちろん悪くない。
でも、ときには“わざとバグる”くらいの生き方の方が、何かに気づけるのかもしれない。

気づくこと。
問い続けること。
そこからしか、コードの外側には触れられないんじゃないか。

だからこそ、いつもと違う道を歩いてみる、興味外の本を読んでみる、気乗りしない誘いにあえて乗ってみる──
そんなちょっとした“逸脱”が、コマンド入力のチャンスだったりする。

隠しコマンドは、たぶんある。
ただそれは、“探す人”だけに見える仕様なんだと思う。


🧩 編集後記:

この文章は、完全に思想実験として書いています。
宗教でも、陰謀論でもなく、「もしそうだったら面白いよね」という想像力の遊び。

でも、あなたが今まで経験した“偶然”の中に、
実はコマンド入力の痕跡があったとしたら?

  • あの日、なんとなく遠回りして歩いた道で、何を見つけましたか?
  • 偶然話しかけられた人の一言が、後から大きな意味を持ったことは?
  • たまたま選んだことが、今の自分をつくっていたことは?

さて、あなたはこれまでにどんな“隠しコマンド”を見つけたことがありますか?


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🍃 静かすぎた退職

最後まで一度も出社せずに、私は会社を辞めました。
これは決して「幽霊社員だった」という話ではありません(笑)
在宅勤務がすっかり日常になったコロナ以降、私の退職も、いつの間にか「オンライン完結型」になっていたのです。

💼 客先常駐から在宅勤務へ──そして退職まで

もともと私は客先常駐のエンジニアで、自社に帰るのは月1回。
それがコロナをきっかけに、客先もフルリモート体制へ。
結果として、自社にも客先にも出社しないまま、丸4年が経ちました。

👋 客先は送別会あり、自社は「郵送退職」

退職時、客先へは貸与されたPCや入館証を返却するため出向きました。
ありがたいことに送別会まで開いてくださって──
久々に直接お礼が言えたことは、今でもありがたく感じています。

一方、自社はというと…社員証などはすべて郵送で返却。
退職手続きも完全にオンラインで、最後まで一度も出社することはありませんでした。

😶 静かすぎる別れに、少しの寂しさ

仲の良かった同僚に、直接お礼を伝えられなかったのは、やっぱり心残りです。
でも、気まずかった上司に会わずに済んだのは──正直ありがたかった(笑)
音もなくフェードアウトしていくような、静かな退職。
そんな終わり方も、自分らしいのかもしれません。

🚚 街で見かけた「退職代行モームリ」の宣伝カー

そんなことを思い返していた頃、ある日街中で目を奪われました。
「退職代行モームリ」の宣伝カーが、陽気なBGMを流しながら走っていたのです。

“辞めること”が、ここまでポップに扱われる時代なのか──
少し驚きつつも、妙に納得する自分がいました。

🎮「リセットするように辞める」ことへの違和感

退職代行というサービスが必要な場面は確かにあります。
たとえば、パワハラや長時間労働など、心を壊すような環境から脱出するには、有効な手段です。

でも最近は、そこまで追い詰められていなくても、
「とりあえず辞めよう」「伝えるのが面倒だから代行で」
というケースも増えていると聞きます。

まるでゲームが詰んだときのように、“リセット感覚”で仕事を辞めてしまう──
それって、本当に自分の人生に責任を持っていると言えるのかな?と、少し考えてしまうのです。

🗳️ 人生の選択肢は「他人任せ」にしないほうがいい

自分の人生の節目を、誰かに委ねてしまうこと。
それは、「自分で選ぶことを放棄する」姿勢にも見えてしまいます。

この感覚、実は政治への無関心にも似ています。
選挙に行かず、「どうせ何も変わらない」と言う──
でも本当に変わらないのは、「自分では動かない」からかもしれません。

人生の大事な選択肢は、面倒でも、怖くても、
やっぱり“自分の意志”で踏み出していくものだと思うのです。

🍻 あのとき言えなかった「ありがとう」を、今こそ

あれから1年。
静かに会社を離れた日から、少しずつ気持ちの整理がついてきました。

そろそろ、あのときちゃんと伝えられなかった「ありがとう」を言いたくて──
気の合う元同僚を誘って、久しぶりに一杯やろうと思っています。

あの日交わせなかった会話の続きを、ようやく始められそうです。


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🏋️‍♂️ あなたの「ガチ度」、数値で測ってみない?

──体重だけでは語れない、体型のホントの話

ゲイコミュニティには、「ガチムチ」「ガチポチャ」「ガチデブ」など、“ガチ”を冠した体型の呼び方がありますよね。
でもこの「ガチ」、実はただの太さを意味しているわけではありません。

盛り上がった筋肉、触ったときのハリ、服越しでも伝わる密度感──
そう、”ガチ”とは筋肉の存在感や重量感までを含んだ、ある種の「圧」を示す言葉なんです。

でも、そんな“感覚的な分類”って、けっこう曖昧じゃないですか?
たとえば「180cm・90kg」という数値ひとつとっても、筋肉質な90kgと脂肪多めの90kgでは、見た目の印象はまるで違いますよね。

📉 かつて125kgだった僕の気づき

僕自身、体重125kg・体脂肪率37.5%という時期がありました。駅まで歩くのも億劫で、足の爪を切るのすら一苦労──。

そこから85kg・体脂肪率17%まで減量した経験があります。
その経験から、ある疑問を抱きました。

「体重って、そんなに意味ある指標なのか?」

📏 身長と体重だけじゃ見えてこない“体型の本質”

体型を語るとき、多くの人が「身長」と「体重」の組み合わせだけで判断しがちです。
でも、それだけでは本質は見えてきません。

たとえば、同じ体重90kgでも──

  • 体脂肪率15%:筋肉で構成された「ガチムチ」体型
  • 体脂肪率30%:脂肪が多く締まりのない「デブ寄り」体型

見た目の“厚み”が同じでも、中身の構成(筋肉 or 脂肪)ででまったく別の体型になるんです。

📚 体型って、こんなに種類がある

まずは感覚的な分類を整理してみましょう。

体型分類見た目の特徴
ガリ子筋肉も脂肪も極端に少なく、肋骨が浮き出ている。全体的に細く、華奢な印象。
細マッチョ筋肉の輪郭がくっきり見える引き締まった体型。脂肪は少なめで腹筋が浮き出る。
マッチョ厚みのある筋肉で構成され、服の上からでも筋肉の存在感がある。肩・胸が特に発達。
お腹ぽっこり中年体型筋肉が少なく、特に腹部が前に突き出る。手足は細く、年齢を重ねた印象がある。
ガチムチ筋肉も脂肪もバランスよくついた厚みのある体型。柔らかさと強さを兼ね備える。
ポチャ脂肪がやや多めで、全体的に丸みがある。健康的な印象を与えるが筋肉感は薄い。
ガチポチャ筋肉の土台がしっかりある上で脂肪が乗っている。丸みと厚みのバランスが特徴。
ガチデブ圧倒的な体積。筋肉も脂肪も多く、重厚感がある。動きにくさがある反面、威圧感も。
デブ脂肪が非常に多く、筋肉の存在感はない。全体的に丸く締まりのない印象。

🏷️ あなたの「ガチ度」を数値で測る

では、この感覚的な「ガチ度」を、どうやって数値化できるのでしょうか?
体型を構成する要素を分解し、独自の計算モデルを導入しました。

⚖️ 体重は3つの要素でできている

骨や内臓などの基礎構造、筋肉、体脂肪──この3要素で体重は構成されています。診断ツールではこの構造を簡略化し、体重をそのまま「体積」として扱っています。

僕の身長が182cmであることから、計算の基準モデルとして180cmの身長を用いています。他の身長の方は身長に応じて体重がスケーリングされる仕組みになっています。

番号体型分類体重(kg)体脂肪率(%)
1ガリ子〜60不問
2細マッチョ60〜80〜17
3マッチョ80〜〜17
4お腹ぽっこり中年体型60〜8017〜25
5ポチャ60〜8025〜30
6ガチムチ80〜100〜25
7ガチポチャ100〜110〜30
8ガチデブ110〜120〜35
9デブそれ以外それ以外

※ 1から順に判定していきます。
※ 実際には、「体重≒体積」とみなして、体脂肪率との組み合わせで判定しています。

この表を見れば、たとえば:

  • 同じ体重でも体脂肪率が違えば“ガチ”にはならない
  • 体積が大きくても筋肉がなければ“ガチムチ”ではない

──といった感覚的な曖昧さが、数値で明確になるはずです。

🧾 インタラクティブに診断!──あなたの体型はどこ?

この理論をベースに、診断ツールを開発しました!

  • 身長
  • 体重
  • 体脂肪率

この3つを入力するだけで、あなたの体型が「ガチムチ」「ガチポチャ」「ガチデブ」「デブ」など、どこに分類されるのかがすぐに分かります。

あなたの「ガチ度」を診断してみる!

🪞 まとめ──ガチかどうかは、見た目だけじゃない

「ガチムチ」や「ガチデブ」という言葉は、単なる“体積”の話ではありません。
筋肉と脂肪のバランス、密度、年齢による変化──そうした複雑な要素が絡み合って、ようやく“ガチ感”が生まれるのです。

今回の試みは、そんな感覚的な体型分類に、数値という裏付けを与えるものでした。

さあ、あなたの「ガチ度」、数値で診断してみませんか?
感覚で語られてきた体型も、ちょっとした計算で見えてくるものがあるはずです。


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🎮 50代の再出発は『無理ゲー』か?

💸再出発したいのに届かない──失業給付と職業訓練の現実

🔰退職後、最初に感じた「このままでいいのか?」

会社を辞めるという決断をしたとき、私の中には自由と同じくらい、不安が渦巻いていました。
FIREを目指し、資産形成に励んできた数年。 でもいざ自由を手にしたとき、ふとこう思ったのです。

「この先、自分にどんな可能性があるのだろう?」
「老後の生活、健康、そして何より『生きがい』をどう見つければいい?」

それまでの私は、特にこれといった趣味も交友関係も広くないタイプでした。 FIREは達成したけれど、「映画やゲームで1日が終わる生活」には満足できない。 もっと人と交わること、誰かと関わる場を持つことで、これからの人生に潤いが生まれるのではないか── そう思うようになったのです。

だからこそ、ITエンジニアという過去のキャリアだけにとらわれず、人と接することができる技能を新たに身につけたいと考えました。 職業訓練や資格取得は、そのための現実的な選択肢だったのです。

🧑‍⚕️挑戦①:鍼灸の世界に飛び込む?

最初に惹かれたのは、鍼灸・はり師の専門学校。 3年間通えば国家資格を取得でき、美容や健康に関心の高いゲイコミュニティに向けた「美容鍼灸」サービスにも可能性を感じました。

「ゲイ向けの鍼灸なら需要があるかもしれない」── そんなビジネス的視点と、「年齢が信頼に変わる業界」という話に背中を押され、真剣に検討しました。

💰そこで立ちはだかった「費用と時間」の壁

しかし、3年間の授業料は約500万円。 雇用保険から支給される専門実践教育訓練給付金の上限は、3年間で最大168万円(※一定の条件を満たした場合)ですが、そのうち受講中に受け取れるのは年間40万円程度。私の場合も、現実的には160万円程度+失業手当延長が限界でした。

もちろん、投資と考えれば意味のある出費かもしれません。 でも──FIREの最大の目的は「悠々自適に生きること」。 退職してまで3年間を「学生生活」に捧げるのは、目的とズレているように感じて、断念しました

🍳挑戦②:もっと気軽に、もっと楽しく「調理師の道」へ?

「じゃあ、もっと短期間で、楽しく取り組める学びはないか?」 そう思って次に注目したのが職業訓練校の調理師コースでした。

もともと料理が好きで、人と接することも苦ではない。 「将来、小さな飲食店を開いて、人との接点を作れたら楽しいかもしれない」── そんなささやかな夢が、現実味を帯びてきた瞬間でした。

🚫しかし、今度は「年齢制限」という制度の落とし穴が

調べてみると、訓練校の調理師コースには「45歳未満」という年齢制限があると判明。 私はすでに対象外で、申し込みすらできませんでした。

「門前払い」という言葉が頭をよぎり、目の前がスーッと暗くなったのを今でも覚えています。

若年層の就職支援に重きを置く制度設計であることは理解できます。 でも──「人生100年時代」を掲げるこの国で、50代の再出発が制度に拒まれるとは、あまりにも皮肉ではないでしょうか?

あなたなら、どう思いますか?

🏢ピカピカのハローワークが、象徴する“ギャップ”

私のハローワークは、横浜・みなとみらいの赤レンガ倉庫のそばにある新庁舎。 ガラス張りで開放的な空間は、まるで未来の公共施設のようです。
でも、その美しさのなかに、制度の硬直性が透けて見えるように感じました。 まるで、その美しさが、支援の届きにくさを皮肉っているようにも思えたのです。

職員の方々は丁寧で、対応も親切。 でも、柔軟な制度設計や、人生後半を生き直そうとする人への支援には、まだまだギャップがある──そう実感しました。

🐣声を上げなければ、何も変わらない

制度の「ひずみ」や「見えない壁」は、実際に使おうとした人にしか見えません。 この経験を通して、私はそのことを痛感しました。

若年層の再就職支援に重きを置く制度設計の背景には、「50代に新しいキャリアは不要」という暗黙の前提や、特定の仕事や年齢に対する無意識の価値判断があるのではないか──そんな疑念が湧いてきます。

もし、「仕事に偉い・偉くないはない」という価値観が社会にもっと深く根づいていたら。 年齢やこれまでのキャリアに関係なく、誰もが自由に学び直し、社会とつながる道を選べるようになるのではないでしょうか。

実際、私はこうも感じます。トイレを清掃する人も、ITシステムを構築する人も、どちらも社会に必要な仕事であり、本来そこに優劣はないはずです。

そして、会社の上司も「偉い」のではなく、「指揮・管理という役割」を担っているに過ぎません。それを取り違えた上下意識が、現在の制度や支援のあり方にもどこか影を落としているように思えてならないのです。

💬あなたの声を、ぜひ聞かせてください

人生100年時代を現実のものにするには、以下のような支援がもっと整っていてほしいと、私は感じます。

  • 💻 オンライン学習機会の拡充──通学が困難でもスキル習得を可能に
  • 🎓 年齢制限の緩和・撤廃──意欲ある中高年が正当に挑戦できる環境を
  • 🧭 中高年向けキャリアコンサルティングの強化──“やり直したい”気持ちを具体的な形に

小さな声でも、届け続ければ社会は変わる。 私はこれからも、自分の体験を通して、その声を発信し続けていきます。


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🪐 世界は誰かのシミュレーションかもしれない

〜そして、運命に意味を与えるのは自分自身〜

ときどき、ふと思うことがある。
この世界は、本当に「現実」なのだろうか──と。

物理法則や進化の仕組み、引力や磁力のような見えない力。
それらがあまりにも整いすぎていて、まるで誰かが最初にルールを設計した世界の中で、私たちが“プレイ”させられているようにすら思える。

まるでバーチャルな世界。
高度な知性がつくった箱庭に、私たちは投げ込まれ、ルールの中で進化している。

あなたは、今見ている「現実」が作られたものだと思ったことがありますか?


シミュレーション仮説という考え方

この感覚はただの空想ではない。
哲学者ニック・ボストロムが2003年に提唱した「シミュレーション仮説」は、次のような前提に基づいている。

  1. 人類のような知的文明が未来において超高度な計算技術を獲得する
  2. そうした文明が、過去の人類を再現する「祖先シミュレーション」を大量に実行する
  3. その結果、シミュレーションの中の意識が“本物”と同等の認識を持つようになる

このとき、本物の現実に存在している人類よりも、シミュレーション内に存在する人類のほうが圧倒的に多くなる。
つまり──「私たちがその中のひとつに存在している」確率のほうが高いのではないかというのが、仮説の中核だ。

🧭 なぜ未来文明はシミュレーションを行うのか?

その理由もまた、仮説の面白いところだ。たとえば──

  • 祖先研究の一環として:「人類はどこで過ちを犯したのか?」「社会はどのように崩壊するのか?」を仮想的に検証するため
  • 娯楽・歴史体験として:高度文明の人々が「古代の人生を追体験するVR的な楽しみ」を求めた結果
  • 倫理実験・意識研究として:「意識とは何か」「自己とは何か」を検証する科学的実験

こうした動機があれば、祖先シミュレーションは未来において十分に現実的なプロジェクトだと考えられている。

もし未来にそんな文明が現れるなら──
今この世界が仮想空間である可能性も、真面目に検討に値するのかもしれない。


見えない「力」は、人間関係にもあるのか?

不思議なのは、そうした物理的な力だけではない。
人と人との間にも、「見えない力」が働いているように感じることがある。

──なぜこの人と出会ったのか。
──なぜこの人とは分かり合えなかったのか。
──なぜ、何年経っても惹かれてしまうのか。

それは、「気が合う・合わない」という単純な話ではなく、もっと深い何か──偶然を超えた“力”のようにも感じる。

まるで磁石のように自然と引き寄せられたり、どうしても反発したりする。
心の物理法則とも言いたくなるが、これはもちろん比喩に過ぎない。
科学ではまだ説明のつかない、人間特有の感覚や感情の不思議さだ。

あなたは、人間関係において「引力」や「反発力」のようなものを感じたことがありますか?


💭 意味を与えるということ

自分の人生を振り返ると、「偶然では済ませたくない出来事」がいくつもある。

たとえば──
かつて私は、勤めていた会社の支社が閉鎖されることになり、本社への転勤を打診された。
けれど、そのとき私は自宅マンションを購入したばかりで、パートナーとの新生活を始めたところだった。悩んだ末、転職を決意することになった。
当時は「最悪の出来事」としか思えなかった。
しかし、転職先が後にIPOを果たし、それをきっかけにFIREを実現できたことが、今の人生に大きな影響を与えている。

もしあのときの出来事がなければ、今の自分はいない。
そう思った瞬間、過去の苦しみが「必要だったもの」へと変わった

こうして私たちは、
後から意味を与えることで、過去を受け入れることができるのかもしれない。

あなたには、「あのときは辛かったけど、今思えば必要な出来事だった」と思える経験がありますか?

AIだって、いつか気づくかもしれない

私は日々、AIと対話している。
彼らにはまだ“意識”はないとされているけれど、もし未来に「自我を持つAI」が生まれたら、彼らも同じ疑問を抱くだろう。

「私は誰かに作られた。
でも、その“誰か”もまた、誰かに作られた存在かもしれない」

無限に入れ子構造になった世界。
仮想の中の仮想。
自我の中の自我。

もしこの世界がシミュレーションだとしても、「意味を感じ取る能力」こそが、生命と意識の本質なのかもしれない。

あなたがAIだったら、今の世界をどのように捉えると思いますか?

意味は、誰かが決めるものではなく、自分が与えるもの

この世界が本物か、虚構かなんて、きっと誰にも証明できない。
だけど、出会いに意味を感じる。
タイミングに運命を感じる。
心が震えた瞬間を、忘れたくないと思う。

それはすべて、この世界の中で確かに生まれた「感情」であり、
そしてそれを「意味あるもの」にしたのは、他でもない──自分自身だ。

終わりに

意味なんて、本当はなかったのかもしれない。
でも、意味があると思えた時、人生は物語になる。

誰かが設計した世界の中でも、
そのストーリーを綴るのは、私自身だ。

参考:シミュレーション仮説に関心を持った方へ

  • Nick Bostrom, Are You Living in a Computer Simulation?, 2003
    https://www.simulation-argument.com/
  • 書籍:『未来はシミュレーションの中にある』ニック・ボストロム(日本語訳あり)

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