💼 30年SEが見た「金を出せば偉い」の錯覚
僕は、システムエンジニアとして30年近く、ずっと「受託側」の立場で働いてきた。お客さんからシステム開発を請け負って、要望に応じて設計・実装し、納品する。それが仕事だった。
だけど長くこの立場にいると、“金を出す側”は偉いとでも思っているような人に出会うこともあった。発注者としての立場を盾に、あからさまに見下してくる人。「あれ直せ、これも変えろ。そっちの落ち度だろ」と威圧的に迫る人。
ある現場で、クライアントから「遅い。金払ってるんだからすぐやれ」と言われたことがある。でもそれって、あなたが後から要件を変更してくるからなんですよ。そっちの社内調整が済んでいないのに、こちらだけにスピードを求めるのは、どうなのかと思う。
🧾 そのお金、あなたのポケットマネーですか?
そういうとき、心の中で思っていた。
「いや、それ、あなたの財布から出てるわけじゃないですよね?」
会社の経費で払っているわけで、個人のポケットマネーじゃない。しかもその会社の売上だって、誰かが商品やサービスを買ってくれた結果だ。
もしかしたら、その「誰か」は僕かもしれない。クライアントと僕は、社会の中でお互いを巡る“ぐるぐる関係”にある。委託者と受託者。売り手と買い手。どちらかが絶対的に偉いなんて、そんなことはないはずなのに。
😓 「お客様は神様」の拡大解釈が生んだハラスメント
最近では、「カスハラ(カスタマーハラスメント)」という言葉もよく耳にする。「お客様だから何を言っても許される」と思っているような人たちが、店員やスタッフに対して理不尽な要求や暴言をぶつけてくる。
あれも根っこは一緒だと思う。「金を払っている側が上」という、誤った信仰。そしてその背景には、「お客様は神様です」というフレーズの拡大解釈があるんじゃないか。
あれ、本来は三波春夫さんが「ステージでの心構え」として語った言葉だ。お客さんを敬う姿勢としての「神様」なのに、いつの間にか「客は無敵」みたいな話にすり替わってしまった。
🧍♂️ 職場にも潜む「俺は偉い」の勘違い
この“錯覚”は、職場のなかにもある。そう、上司と部下の関係だ。
僕の経験上、出来の悪い会社ほど、自分が“部下より偉い”と思う上司が多い。実際には、会社から「部下をマネジメントする」という役割を任されているだけ。それは役職であって、人格の優劣じゃない。
もっと言えば、上司の給料だって、実際には部下たちが稼いだ売上から出ている。売上のない部署で“管理”だけしてても、給料は払われない。それなのに、「俺の指示通りに動け」「黙って従え」みたいな態度を取る人が、驚くほど多い。
もちろん、うまく支えてくれる上司もいた。でもそれは、「偉いから支える」のではなく、「支えることで成果が出る」とわかっている人だった。本当に良いマネージャーは、自分を偉く見せようとはしない。
🧠 先回りして喜ばれると、仕事はもっと面白くなる
僕自身、若い頃は未熟だった。やってみて初めて気づくことばかりで、クライアントに指摘されて「あ、そうか…」と青ざめることも多かった。
でも経験を重ねるうちに、「相手が気づいていないことを、先回りして備える」というのができるようになってきた。何か指摘された時、「それ、準備してありますよ」と見せられたときの安堵。あるいは、こちらからの提案に「それ助かります!」と喜んでもらえた時のうれしさ。
そういう瞬間が積み重なると、それまで“上から”だったクライアントも、少しずつ態度を変えてくれる。信頼ができると、関係性って変わっていくものなんだなと思った。
✋ 無理して付き合わなくていい人もいる
もちろん、どれだけ頑張っても変わらない人もいる。最初から最後まで、こちらを“下請け”としてしか見ないような人。
そういう時は、無理しない。「ごめんなさい、合わないですね」と静かに距離を置くようにしていた。仕事は、金額や肩書よりも、「どんな関係で一緒に働けるか」のほうが大事だから。
🤝 信頼でつながる社会を、もう一度見直したい
社会にはいろんな“立場”がある。でも、それが“偉さ”を意味するわけじゃない。店と客も、企業と受託業者も、上司と部下も、支え合ってこそ成り立っている。
金を出しているから偉いわけじゃないし、「お客様は神様」でもない。敬意は、金額でなく、お互いの信頼とまなざしの中にある。
上下関係ではなく、“まなざし”で信頼を築く──そんな仕事が少しでも増えたら、きっと職場はもっと居心地よくなる。
あなたはどう思いますか?
もしあなたが同じような経験をしているなら、今日の記事が少しでも、あなたの心を軽くするきっかけになれば嬉しいです。
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