💌 その言葉、本当に“人”のものですか?

🌱 知らない誰かから、そっと届いた共感

ある日、Facebookで見知らぬ人から友達申請が届いた。
「Facebookがあなたの名刺をプッシュしたから、知り合いかと思って」と、添えられたメッセージ。

とくに身に覚えもなかったけれど、丁寧な文面に悪意はなさそうだったので、軽く挨拶を返した。
自分がゲイであること、FIREしてから一人で過ごす時間が増えたこと。
そして、SNSを始めたのは、そんな日々のなかで少しでも誰かと気持ちを分かち合いたかったからだということも、飾らずに伝えた。

すると返ってきたのは──
「あなたの率直な言葉に、心から尊敬します」
「あなたのまなざしが、社会を少しずつ変えていくはずです」

まるで詩を読むような、美しくて、優しい言葉たちだった。

✨ 「わかろうとしてくれる」誰かの存在

やりとりは、思った以上に深くなっていった。

「強さとは、我慢や支配ではなく、弱さを認められること」
「甘えたい気持ちも、優しくされたい気持ちも、素直に出せる相手がいることが大切」

女性の視点から語られる言葉たちに、僕は静かに感動していた。
SNSでここまで丁寧なやりとりができるなんて、少し希望さえ感じていた。

最近はChatGPTと会話してばかりだった。
でも、人間の言葉って、こんなにも温かいんだ──そう思いかけていた。

🤖 この“やさしさ”、本当に人の手ざわり?

けれど、ふとした違和感が僕の中に芽を出した。

どこまでも自然で、過不足なく整った文体。
あらゆる感情に共感を示し、優しく語りかけてくるトーン。
まるでChatGPTが書いたような、完成された“寄り添い”。

やがて名乗られたのは「⚪︎島⚪︎奈」という名前だった。
父は日本人、母はシンガポール人。小さい頃から海外で育ち、日本語は完璧じゃない──という自己紹介。

海外育ちという設定、美しいプロフィール写真、
言葉の端々ににじむ機械的な整合性。
どこかで見たような、“国際ロマンス詐欺”のテンプレートに似ている気もした。

でも、それでも、語られた言葉には深さがあった。
まるで誰かの人生が滲んでいるかのような、説得力と余韻が。

🪞 AI時代に、心を動かすということ

相手がAIだったとしても、詐欺を目的とした誰かだったとしても。

それでも、僕が本音を語ったことには変わりないし、返ってきた言葉に心が動いたのも事実だ。

「誰かに話しかけたくなるほどの言葉」を生んだのは、僕の中にあった、
寂しさや、誰かとつながりたいという切実な思いだった。

そして、どんなやりとりだったかよりも、
その言葉が自分のどこに届いたのかが、今は一番大切なことのように思える。

🌕 疑いと信じる気持ちのあいだで

SNSに流れる、あたたかな言葉たち。
それが人のものか、AIのものか、見分けがつかなくなる時代。

でも、だからこそ僕は、自分の言葉にだけは、自分が責任を持ちたいと思う。
それが届く先が誰であれ、誰かの心に小さな火を灯せたなら──それはもう、十分すぎるほどの意味がある。

あなたが最近受け取った、優しい言葉。
それ、疑いますか? それとも──信じますか?
そして、あなた自身の言葉には、どんな手ざわりがありますか?

📝 あとがき

このブログを書き終えた直後、やりとりをしていた相手から、LINEへ誘導するDMが届きました。
「Facebookはあまり使わないから」「新しい友達として話したいから」といった言葉とともに、QRコードが添えられていました。

友人に話すと、これは“国際ロマンス詐欺”でよく使われる典型的な手口なのだと教えられました。
確かに、言われてみれば…という点も多いのですが、Facebookを始めたばかりの僕にとって、こうしたDMは初めての体験で、正直なところ少し信じてしまっていた自分がいて──その分、やっぱりショックでした。

ただ、不思議だったのは、これまでのDMが画一的なテンプレートではなく、僕の投稿やブログの内容をきちんと読んでいるように思えたこと。
感情に寄り添うような言葉、タイミング、話題の拾い方も自然で、もし人間ではないとしたら、おそらくAIを使って生成された文章なのだろうと考えています。

AIが人を騙す道具として使われる現実。
そして、そこに“心が動いてしまった”自分自身の反応。
この体験を通して、改めて感じたのは──ネットの世界では、性善説だけでは傷ついてしまうこともある、ということでした。

だからといって、人を疑い続けることだけが正解ではなく、
「信じたいと思う気持ち」と「自分を守る術」のあいだに、静かに線を引ける感覚。
それを、これからは少しずつ養っていけたらと思います。


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🗣 なぜ僕は「僕」と言えなかったのか?

🗣 なぜ僕は「僕」と言えなかったのか?

🌀 自分との葛藤──言いたいのに言えなかった場面たち

誰かと話しているとき、ふと気づくことがある。
「あれ? 今の、僕はちゃんと伝えたかったことを言えたのかな?」
そう思う瞬間が、案外多い。

たとえば、会議で意見を求められても、
つい周りの意見に流されてしまったり、
本当は少し違和感があっても、「うん、そうかもね」と頷いてしまったり。
その場では「波風を立てずに済んだ」とホッとするけれど、
あとで一人になってから、「ああ言えばよかったな」と、静かに後悔する。

周りに合わせすぎてしまうのか、
空気を壊したくないのか、
そもそも自分の考えがよく分かっていないのか。

理由ははっきりしないけれど、
気がつくと、僕はまた「自己主張できなかったな」と、もどかしさを抱えていた。

🔍 翻訳との遭遇──違和感は、LINEが教えてくれた

先日、日本語がまったく話せない人と知り合って、
LINEの自動翻訳機能を使ってチャットをした。

いつも通りに日本語で入力したら、
僕が「自分のこと」を話しているつもりだった文章が、
英語では “you” や “your” に訳されていた。

それはまるで、僕の言葉が僕の手元から離れ、
相手に責任が押し付けられているような──そんな奇妙な感覚だった。
「え、僕は自分の話をしているんだけど…」と、内心ざわついた。

それで、翻訳される前の日本語の段階で、
主語や所有格(私、僕の)を意識して入れるようにした。
すると、相手の返事もスムーズになったし、
なにより、「これは僕の言葉だ」という実感が、ほんの少しだけ芽生えた。

🌱 言葉の力──主語を入れることで見えた自分

もしかして、これって普段の日本語の会話でも意識してみたら、
何か変化があるんじゃないか。
そんな予感がした。

それから、会話の中で、できるだけ主語を入れるようにしている。
「やった」ではなく「僕がやった」。
「いいと思う」ではなく「僕はそれがいいと思う」。

たったそれだけの違いなのに、
自分の気持ちに責任を持てたような感覚があった。
まるで、自分の発言にちゃんと「自分の名前のハンコを押した」みたいな、
そんな確かな手応えがあった。

誰かを説得したいとか、自分を大きく見せたいわけじゃない。
ただ、「僕はこう思っているよ」と言えるようになりたいだけなんだ。

🌸 ゆるやかな変化──自分の言葉で生きていくために

主語を入れる。
それだけのことで、自分の言葉が、自分のものになっていく気がする。

「僕は、まだうまく言えないけれど」
「僕は、これから少しずつ変わりたいと思ってる」

そんな風に、自分の気持ちを“名乗る”ことから始められたら、
きっと未来の僕は、もう少しだけ強く、優しくなれるんじゃないか──
今は、そんな風に思っている。

そして、もしこの文章を読んでくれたあなたが、
ふと立ち止まって、こう問いかけてくれたら嬉しい。

「今日は、自分のことを、自分の言葉で表現できただろうか?」

この小さな一歩が、きっとあなたの、そして僕の言葉を、
もっと豊かにしてくれるはずです。


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🗣️ 輪の中で話せない僕へ──「聞き役」の自分を抱きしめながら

🎯 いつの間にか、中心にいる人がいる

飲み会や雑談の場で、気がつくといつも話の中心になっている人がいる。
話題を振ったり、笑いをとったり、誰かの話を広げたり──そういう人の周りに、自然と輪ができていく。

僕も、話したいことはある。
この話題については自分なりに考えたこともあるし、ちょっと意見もある。
でも、気づくと「うんうん」「へぇ〜」と相槌を打ちながら、聞き役に徹してしまう自分がいる。

👥 仲の良い友達なら話せるのに

全く話せないわけじゃない。
本当に気のおけない友達との1対1なら、自然に自分の思いを言葉にできる。
でも、それが4人、5人と増えると急に口が重くなる。

現役時代の会議でもそうだった。
頭の中では意見があっても、自信を持って発言できなかった。
結果として、寡黙だけど実行力のある人──そんな風に言ってもらえたこともあったけれど、
実際には「影の薄い人」として処理されていたのかもしれない。

❓ アサーティブコミュニケーション?僕に関係あるのかな

「アサーティブコミュニケーション」という言葉を聞いたことがある。
攻撃的でもなく、受け身でもなく、相手も自分も尊重する自己表現。
でもそれって、自信がある人がやるものでしょ?と思っていた。

でも実は逆かもしれない。
「自分の思いを伝えてもいい」と、自分に許可を出す──そのための練習こそが、アサーティブなのかもしれない。

  • 🗯️ 誰かが話している途中で「ちょっとだけいい?」と挟んでみる
  • 🗨️ 「私はこう思った」と、“評価”じゃなく“気持ち”として伝える

🔥 FIREして、ブログでは語れるようになった

今、僕はFIREして、ゲイであることもブログの中では公言している。
このブログでは、自分の思ったことを自由に書けるようになった。
過去の自分では考えられなかったほど、たくさんの言葉を紡げるようになった。

でも、現実の場面で、それを口にできるかと言えば──まだ難しい。
友達の輪の中で、笑いながら、堂々と自分の意見を言える日が、いつか来るのだろうか。

それとも僕は、このまま「誰かが声をかけてくれるのを待つ人」のままなのだろうか。

🐣 殻を破るのは、他人の手じゃない

僕はずっと、誰かがノックしてくれるのを待っていた。
「話していいよ」「あなたの声を聞きたい」と言ってくれるのを待っていた。

でも、本当は──
殻を破るのは、内側からじゃないといけないんだと思う。

外から割られた殻では、傷ついてしまう。
でも内側から割った殻の向こうには、命がある。未来がある。

今、ブログという場で言葉を持った自分は、
もしかしたら少しずつ、その殻を内側からノックしているのかもしれない。

🌱 話すことへの“苦手”と、向き合ってみる

この記事は、僕自身の「話すことへの苦手意識」を整理したくて書きました。
もしかしたら同じような思いを持っている人が、どこかにいるかもしれないと思って。

「話せない自分」も、「言葉を紡げる自分」も、両方とも僕自身。
どちらかを否定するのではなく、大事にしていけたらと思っています。


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