🛌 ゲイ専用の老人ホーム

🌏 人生の終盤、あなたはどこで、どんな風に笑っていたいですか?

かつての私には、老後をどう過ごすかなんて、ぼんやりとしか想像できませんでした。
でも今、FIREを達成して、ようやく日々の生活に余裕が生まれてくると、これから先の暮らし方について、少しずつ具体的に考えるようになったんです。
そんな中でふと浮かんできたのが、「ゲイコミュニティに特化した高齢者施設で、安心して過ごしたい」という願いでした。

🏘️ 多様な選択肢:ゲイの老後を支える希望の光

ここ数年、LGBTQ+の高齢者を受け入れる施設が、少しずつですが増えてきました。
たとえば東京・渋谷区では、同性パートナーシップ制度と連動した介護施設での受け入れ体制が整いつつありますし、アメリカではLGBTQ+高齢者専用の集合住宅が実際に運営されています。
同性カップルでの入居や、職員の理解促進など、確実に前進していると感じます。
とはいえ、特に「ゲイ男性が安心して暮らせる場所」となると、まだ選択肢は限られています。
だからこそ、こうした取り組みをもっと広げていけたらいいですよね。希望の灯を絶やさず、少しずつでも未来を変えていけたらと思います。

🧱 居心地の良さと排他性の狭間で:ゲイオンリーが問いかけるもの

ゲイだけが集まる施設なら、セクシュアリティに起因する気まずさや誤解を気にせず、自然体で過ごせそうです。
でも同時に、「ゲイだけ」という枠組みが、他の人を遠ざけてしまうのでは?という葛藤もあるんですよね。
差別から守られたいという気持ちと、自分が新たな「壁」を作ってしまうかもしれないという不安──。
このあたりは、正直まだ自分の中でも整理がついていません。

🤝 究極の「安心」とは? 共生社会における多様な老後の形

私が本当に求めているのは、「信頼できる他者とともに暮らせる環境」です。
それが必ずしもゲイオンリーである必要はないと思っています。理解ある異性愛者や、他のマイノリティと共に暮らすという選択肢も、きっとありなんですよね。
たとえば、共用スペースで交流しつつ、プライベートな空間も確保された“コレクティブハウス”のような住まい方。
こうした共生型の生活スタイルがもっと広がっていけば、ゲイに限らず、誰もが自分らしく、心地よく暮らせる社会に近づいていけるような気がしています。
偏見なく、孤立せず、自分のセクシュアリティを隠さなくていい空間。
そんな“ちょうどいい関係性”が築ける場所を、これからゆっくり探っていきたいなと思っています。

🐢 小さな一歩が、未来をつくる

この理想は、すぐに実現できるものじゃないかもしれません。
でも、だからこそ私たち一人ひとりが今できること──それは、老後の暮らしについて語り合ったり、信頼の種をまいたりすることなんだと思います。
共生の場づくりには時間がかかります。でも、だからこそ今、私たちができることがあるんです。
日々の小さな声や行動が、少しずつ未来の土台を築いていくはずです。
私は、そうした積み重ねが、高齢になった時の私たちを、心から笑える場所へ導いてくれると信じています。
あなたにとっての「安心できる老後」は、どんな景色に見えますか?
そして、そのために今、どんな一歩を踏み出せるでしょうか?
もしよかったら、あなたの考えも聞かせてください。


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🧭 見落とされた苦しみ──ゲイと就職氷河期世代が感じた孤独

🌫️ 救われなかったふたつの輪

私はゲイであり、就職氷河期の入り口で社会に出た世代でもある。
どちらか一方だけでも、社会との“ズレ”を感じるには十分だ。
それが重なった時、私の人生には「理解されない苦しさ」と「救われないまま流される無力感」が、静かに根を張ったような気がする。

社会の中で、自分という存在が“想定外”として扱われること。
それは、目に見える差別よりもずっと深く、人を沈黙に追いやる力を持っていた。

🏢 就職氷河期──「努力」ではどうにもならない壁があった

バブル崩壊後の数年間、企業は新卒採用を絞り込んだ。
1996年から2000年頃、私のまわりでも「就職先が見つからない」と嘆く声があふれていた。
多くの若者が派遣やアルバイトに流れ、キャリアのレールから外れていった。

「努力が足りない」と切り捨てるのは簡単だ。
でも、そう言い切れるほど、当時の社会は“やり直し”に寛容ではなかった。
むしろ、「一度外れた者は戻ってくるな」と言わんばかりの閉鎖的な構造がそこにはあった。

🧍‍♂️ ゲイとして生きる──制度の外側にいるという感覚

同性婚もなければ、配偶者控除も、遺族年金もない。
長年連れ添っても、法律の上では「ただの他人」。
ふたりの関係性は、制度によって見えないものにされてしまう。

異性愛を前提とした仕組みの中で、「見えない存在」として暮らすこと。
それは日々の暮らしのあらゆる場面で、静かに心を削っていく。
そして、「どうせわかってもらえない」と、声を失っていく。

🧱 救済の網にかからなかった共通点

就職氷河期も、ゲイも、切り口は違う。
でもどちらにも共通しているのは、「社会の想定から外れていた」という点だ。

  • 就職氷河期は「失敗した若者」とされ、自己責任論で片付けられた。
  • ゲイは「想定されていない家族形態」として、支援の対象外とされてきた。

どちらも、制度の中に“初めから居場所がなかった”。
だからこそ、どれだけ困っていても、救済の網にかからなかったのだ。

🏛️ 社会が見なかったふりをしてきたこと

氷河期世代に対しても、性的少数者に対しても、
行政や企業は長らく“見ないふり”をしてきた。

それは、対応しきれなかったからではなく、
「対応しないことで何も変えなくてよくなる」からだ。

個人の問題に見せかけて、社会全体の課題を先送りする──
そうした構造が、私たちを「黙らせる力」として機能してきた。

🌱 救済とは、帳尻を合わせること

私は、優遇してほしいわけではない。
ただ、「はじめから制度に入れてもらえなかった」人が、ようやく隣に並べるようにすること──それが救済だと思う。

氷河期の若者も、ゲイのカップルも、
本当は“普通に生きたい”だけだった。

💬 この文章を読んでくれたあなたへ

ここまで読んでくれたあなたが、何かを変える立場にあるとは限らない。
でも、もし日常のなかで、ふと誰かの“取りこぼされた痛み”に気づくことができたなら──
それだけでも、この社会は少しずつ変わっていけると、私は思う。

たとえば、周囲にいる“声を出しにくい誰か”に、耳を傾けてみること。
「そんなことあるんだね」と、ただ受け止めてみること。

そんな小さな一歩が、黙ってきた誰かの心を、そっと軽くしてくれるかもしれない。


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