✨ 裏切りと昇進、そして自由へ

信じていた人に裏切られ、会社で居場所を失ったあの日。
社外で働き続けた10年間は、僕に何をもたらしたのか。
組織の不条理に翻弄されながらも、自分らしい働き方と未来を見つけた物語です。

🕰 転職は、逃げだった

35歳の夏、僕は最後の会社に転職した。前職があまりにもブラック企業で、心も体も限界だった。
だから逃げるように、深く考えることなく転職先を決めた。

逃げるように飛び込んだその場所で、僕は意外にも大きな裁量を得た。
リーダー層が不足していたこともあり、若手をまとめて育てながら、客先で信頼を築く役割を任された。

社内で受託案件を担当していたのは数名ほどで、他の社員はほとんど客先に常駐していた。
僕も入社してすぐ、3年ほどは客先勤務を続けていた。

💼 リーマンショックと自社勤務への転換

リーマンショックの影響で、派遣契約が次々に打ち切られた。
その結果、社員たちは一斉に自社へ戻ることになり、僕もその一人だった。

自社に戻った僕は、帰還した社員の管理と育成を任された。
やがて部下は10人ほどになり、協力会社を含めると20人近いチームを抱えるようになった。

自分の作業をこなしながらのマネジメントは容易ではなかったが、それでもやりがいはあった。
中でも、10歳年下ながら社歴の長い部下は、まるで僕の分身のように成長していった。

彼が同じ職位に昇進したとき、心から彼の成長を喜んだ。
「この会社を一緒に背負っていける仲間ができた」──そう思えた瞬間だった。

🤝 信頼していた営業担当

もう一人、信頼していたのが営業担当の彼だった。
人員配置や事業の見通しまで相談し合える関係で、会社を支える上で欠かせない存在だった。

彼はときどき「いつかは独立したいんだよね」と話していた。
その言葉を聞いても、当時の僕には、まだ遠い未来のことのように思えた。

🔄 外に出ろ、という命令

派遣法の改正で会社の経営が傾き始めた頃、上司から突然告げられた。
「お前は上級SEとしてすぐに売上になる。外に出てくれ」

言葉を選ぶ間もなく、胸の内から「なぜ僕なんですか」「部下たちはどうなるんですか」と声が込み上げてきた。

必死に抗った。
これまで築いてきた関係やプロジェクトを、たやすく手放したくなかった。

けれど、上司は一言、「これは決定事項だ」とだけ言った。
その目は冷たく、感情の余地を与えない。

目の前の現実が、ぐらりと傾いた気がした。
あの瞬間、僕の意見も、想いも、ただのノイズになったのだと悟った。

せめて1ヶ月で戻れるようにと願ったが、3ヶ月、半年、1年と時は過ぎていった。

🚪 離れていく部下たち

社外勤務を続けている間に、部下たちは次々に退職を願い出た。
わずか2ヶ月で5人が会社を去っていった。
僕自身も転職経験者だから、理由を詮索することはしなかったけれど、心はざわついた。

ちょうど同じ時期、営業担当の彼は会社を辞めて独立すること決意した。
ただ、タイミングが重なっただけだと、何の疑いもなかった。

送別会のとき、僕は彼に笑顔で言った。
「新しい道でも、応援しています。がんばってくださいね」。それは心からの言葉だった。

それから数年後、同僚と久しぶりに飲んだ席で、その事実を知らされた。
ビールジョッキを傾けながら、彼がふと口にした一言で、僕の中の過去は一気に塗り替えられた。

「あの時さ、〇〇さんたち、顧客ごと引き連れて新会社に移ってたんだよ。全部仕組まれてたらしいよ」

彼らが担当していた“割のいい案件”は退職直前に一区切りつき、そのまま顧客も新会社へ移されたという。
僕には知られないよう、密かに準備を進めたらしい。

送別会の光景が、頭の中で静かに塗り替えられていく。
最初から、僕は蚊帳の外だった。

たとえ悪意がなかったとしても──
これは明らかに、僕への裏切りだった。

📈 昇進の知らせは「帰社日」に

社外勤務を続けていた僕にとって、月に一度の「帰社日」は数少ない本社との接点だった。
その日は辞令や営業報告が行われる。

変わらぬ雰囲気のなか、辞令が読み上げられていく。
突然、かつての部下の名前が呼ばれた。彼が、僕の上司に昇進したというのだ。

場にざわめきはなかった。
社外勤務の社員にとって、社内の人事は関係のない話。
社内の人たちは──きっとすでに知っていたのだろう。

僕だけが、その場で知った。

胸の奥に冷たいものがじわりと沈んでいく。
まるで透明な壁の向こう側で起きていることを見ているような感覚に陥り、
何も知らされないまま、静かに置いていかれていたのだと突きつけられた気がした。

彼の口からも、同僚の誰からも、その知らせはなかった。
気づけば、僕は知らされる側ですらなくなっていた。

彼は社内で働き、幹部と日常的に接し、状況をよく把握していた。
僕は一方、社外で働き、複数拠点にまたがる社員のマネジメントをしていた。

全体は見えていても、細かな現場の空気までは掴みきれなかった。

それでも、彼にマネジメント力で劣っていたとは思っていない。
だからこそ、あの昇進はどうしても「フェアな評価」には見えなかった。

見えない場所で働く者には、評価も届かない──
その現実を、あの日はっきりと突きつけられた。

⏳ 転職は、うまくいかなかった

「この会社にはもう居場所がない」と思い、本格的に転職活動を始めた。
けれど、なかなか決まらなかった。

一方、会社は少しずつ立ち直り、「東証への上場」を掲げ始めた。

「まあ、うまくいくといいね」と、他人事のように思っていたが──
それは、現実になった。

💰 皮肉な報酬、静かな退職

上場によって、僕が持っていた社内持株とストックオプションは大きな価値を持った。
かつて僕を追い抜いていった人たちが今も会社にしがみついている間に、
僕の資産は、定年まで勤めて得るはずだった給与を静かに超えていった。

怒りも、喜びもなかった。
ただ、「これで自由になれる」とだけ思った。

会社を辞めるのに、もう何の未練もなかった。

🪞 裏切ったのは、誰だったのか

僕を裏切った彼らは、今どんな生活を送っているのだろう。

独立した彼の会社は、今年も新卒を募集しているようだ。
けれど、会社案内のページは古いまま更新されていない。
順調に拡大しているのなら、そのあたりにも少しは手が回るはずだと思うのだけれど。

僕を飛び越えた元部下は、きっと社長から「株は売るな」と言われたままだろう。
その間に株価は1/4以下に下がった。たぶん、売りそびれている。

……そんなふうに思ってしまう自分が、情けない。
だが、最近はこうも思うのだ。

僕自身も、誰かにとっての「裏切り者」だったのかもしれない。
自分の意地や責任感が、知らず知らずのうちに誰かを縛っていたのかもしれない。

「誰も悪くなかった」と美化するつもりはない。
けれど、「誰かのせいにして立ち止まる」のではなく、
「この経験を血肉に変える」ことは、僕自身が選べる道だった。

そして今、ようやく気づいた。
あの時の悔しさや孤独も、いま僕が「誰と、どんな働き方をしたいか」を選ぶ軸になっている。

🧭 経験は、選び直すための材料

裏切られた経験は、ときに痛みを伴う。
でも、その痛みをどう意味づけ、どう次に活かすかは、自分で選ぶことができる。

あなたも、組織の中で理不尽な経験をしたことがありますか?
その経験は、きっとあなたの次の選択に繋がっているはずです。


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🛤️ 間違えた道が、僕をFIREに導いた

🏢「二流」が混じる職場だった──新卒で入った松下電器の子会社

僕が新卒で入社したのは、松下電器産業の子会社。
R&D部門の“流動的な人材派遣”をミッションとする会社で、福利厚生や給与体系、組合まで本体と同じでした。
現場では、松下電器本体の社員と一緒に働くことも多く、彼らの入社難易度を思うと、「僕らみたいな二流が、同じ高待遇でいいのかな…」なんて、どこか後ろめたさを抱えていました。

配属は関東の支社。全体の1割程度の小所帯で、どこか肩身の狭さを感じていた気がします。

今思えば──
単科大学というマイノリティ、関東支社というマイノリティ、そしてセクシャリティでもマイノリティ。
僕は、常に「少数派」として生きてきたんだなと、今になって気づきます。

🎖️出世とマイホーム、そして“順風”だった20代

学部卒ながら、院卒の同期と同じ年に技師に昇格。出世は早い方でした。
一方で、生活はそれなりにカツカツ。クレジットローンを組み、先輩からお金を借りることもありました。

でも30歳のとき、思い切って新築マンションを購入(2000年)。
横浜駅徒歩圏の物件が3,000万円以下で買えた、まだ希望に満ちた時代です。

📉親会社の業績悪化──そして転機が訪れる

2000年代に入ると、松下電器産業の業績が悪化。
東京のR&D部門は縮小され、僕が所属していた東京支社は閉鎖に。
当然のように「大阪本社への転勤」を命じられました。

でも、すでにマンションも買い、パートナーと同居していた僕は、転勤を拒否して転職を決意します。

🎰興味だけで選んだ「パチスロ業界」、しかし…

転職先は、パチスロ『吉宗』で有名な大都技研の関連会社
パチンコホールの出玉・景品・顧客管理システムを開発する部署で、パチスロ好きだった僕には魅力的な業界に思えました。

が、現実は想像以上のブラック企業
「家に帰れるのは3日に一度」なんて当たり前で、「これはまずい」と感じて、次の転職を模索。

🧳「腰かけ」のつもりが、10年以上続いた会社

次に入社したのは、徒歩5分の小さなソフトウェア会社。
経歴を買われ、松下時代と同水準の給与を提示されました。
「とりあえず」入ったつもりが、気づけば10年以上。

何度も転職活動をしましたが、最終選考で落とされ続け、次第に年収も上がらず、40代後半にはこんな思いがよぎりました。
「ああ、僕は負け組だな……」

💹でもその会社が、まさかの東証上場へ

まさかのどんでん返しが起きたのは、その“腰かけ”の会社が東証に上場したとき。

社内持株制度やストックオプションで手にした株が、20倍以上に化けました。
これが、僕がFIREを実現できた理由です。

FIREが「勝ち」だとは思いません。
でも、負け組だと思っていた僕がFIREできたというのは、本当に“運”だったと思っています。

📺そして今、パナソニックが大規模リストラ──あのままいたら?

そんな矢先に飛び込んできた、パナソニックの大規模リストラのニュース。
辞めずにいたら、きっと今ごろ整理の対象だったでしょう。

独身の僕ならまだしも、家庭を持つ同期たちにとって、このタイミングでの転職は本当に厳しいはずです。

特に、僕のいた子会社は社員に主体性がない人が多く、上からの命令に従うばかりだったから、なおさら心配になります(今は違うと願いますが)。

去年は20年ぶりに同期と会って、みんな元気そうだったけど──
今年は……声をかけて会う勇気がない。

🌱いま思うこと──「間違えた道」が、実は“最短ルート”だったのかもしれない

20代でマンションを買い、30代でキャリアを手放し、40代で自信を失いかけた──
そんな僕がFIREにたどり着いたのは、誰かが描いた“正解ルート”ではなく、
無駄に見えた選択と、行き当たりばったりの積み重ねでした。

でも、それでもいいのかもしれない。
むしろ、「寄り道こそが、僕の道だった」と、いまは思えるんです。

そしていま、
行き当たりばったりの僕が、不動産賃貸で“事業的規模”になるなんて、FIREしたときには想像もしていませんでした。
最近は、ブログの更新に1日の大半を費やす日もあります。

この先どう転んでいくのか──
その答え合わせは、きっと60歳になったときにわかるのでしょう。


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