💍 「結婚」という名の不公平

結婚するだけで、なぜ税金が安くなるのか。
働いていない配偶者がいれば、なぜ年金をタダで受け取れるのか。
その“特典”のような制度が、どれほど私たちの社会に歪みを生んでいるか──
正直、ずっとモヤモヤしています。

ゲイである私には、法的に「結婚する」という選択肢がありません。
それでも生きていかなければならない社会の中で、
制度が前提としている「結婚して、専業主婦がいて、子どもを育てる」モデルの外側に置かれた者として、ずっと感じてきた違和感があります。

🏛️ 配偶者控除は、なぜあるのか?

配偶者控除とは、所得税において配偶者の年収が48万円以下であれば、納税者の所得から最大38万円(住民税では33万円)を控除できる制度です。
これにより、年収500万円のサラリーマン家庭であれば、年間5~8万円の税負担が軽減されることもあります。

この制度は1951年に導入されました。
背景には、戦後の「夫が外で働き、妻が家庭を守る」という家族モデルと、家族単位で設計された社会保障制度があります。

もちろん、育児や介護などで働けない事情を抱える家庭にとっては、大きな支えにもなってきました。
しかし、現在では共働き世帯が全体の7割(2022年・厚労省「就業構造基本調査」)を超え、家族のかたちも多様化しています。

制度が支えているのは「結婚している人」だけ。
結婚できない人、しない選択をした人は、その時点で蚊帳の外に置かれてしまう。
それが、問題なのです。

📉 年金の第3号被保険者制度──「専業主婦モデル」の遺産?

1986年に導入された「第3号被保険者制度」は、会社員や公務員の配偶者で年収130万円未満の人を対象に、保険料を払わなくても国民年金を受け取れる仕組みです。
2023年時点での対象者はおよそ750万人、うち9割以上が女性です(日本年金機構)。

一方、自営業やフリーランスは全額自己負担。
130万円を少しでも超えれば、同じ配偶者でも保険料を支払わなければならない。
そして、婚姻関係にない同性カップルは、そもそも制度の対象にすらなりません。

同じように生計を共にしていても、「結婚していない」という一点だけで、将来の備えに大きな差が生まれる。
これは、時代錯誤な制度設計のまま放置されている現実です。

🏳️‍🌈 制度の中に“存在しない関係”

私は同性のパートナーと10年以上共に暮らしています。
生活費も家賃も分担し、資産も積み立てています。
けれど、法律上は他人。
税も、年金も、社会保障も、私たちの関係は「存在しないもの」として扱われます。

もし、パートナーが体調を崩して入院したら──
緊急連絡先にすらなれず、説明も同席も断られます。
“家族ではないから”という理由で。

これは単なる制度の「不備」ではありません。
日常生活の端々で、「あなたたちは対象外」と言われ続ける──
それは、存在を否定されるような感覚なのです。

👶 子育て支援こそ“社会全体で”

このような「制度の外」に置かれている関係がある一方で、
社会全体で支えるべき営み──たとえば「子育て」には、十分な支援が行き届いていないのも現実です。

日本はOECD諸国の中でも、家族関係支出(GDP比)の割合が非常に低い国です(OECD Family Database, 2023)。
子どもを育てるのに必要な費用はおよそ2,000万円とも言われており、少子化の背景にもなっています。

にもかかわらず、支援の前提は「結婚していること」。
未婚の親や同性カップルが子を育てる場合、制度の支援が行き届かないケースも多く、
「子どもは親の責任」という自己責任論が根強く残っています。

子育てこそ、“社会全体で支える”制度が必要だと感じます。
誰が育てるかより、子どもが健やかに育つ環境が優先されるべきではないでしょうか。

⚖️ 同性婚裁判──結婚は「どうでもいい」が、優遇の有無は「どうでもよくない」

同性婚をめぐっては、各地で訴訟が続いています。
2023年には名古屋地裁などで「違憲」判断が示され、2024年3月には札幌高裁が、
高裁レベルで初めて「違憲」と明言しました。

これは大きな一歩です。
けれど、私自身は結婚という制度そのものにそれほど執着はありません。
結婚は、したい人がすればいい。

問題は、その「結婚しているかどうか」で、
税・年金・相続などの重要な制度に大きな優遇・差別が生まれてしまっていること。
結婚できない私たちは、それらの権利を当然のように奪われている。
それが不公平なのです。

🏚️ 唯一、気になるのは“相続”

特に深刻なのが、相続です。

何十年も一緒に暮らしたパートナーが亡くなっても、婚姻関係がなければ、
その財産は贈与扱いとなり、最大で55%の贈与税が課されます。

「遺言書を書けばいい」という声もあります。
でも、それが当然の前提とされること自体がおかしいのではないでしょうか。

結婚していれば、自動的に「配偶者は相続人」として守られる。
でも結婚できない関係にある人は、自ら手続きを尽くさなければ何も守られない。
たとえ遺言があっても、親族には「遺留分」の請求権があり、パートナーに全てを残すことは難しいのが現実です。

そもそも、なぜ「婚姻関係」や「血縁」があるだけで、
自動的に財産を引き継げるという特権が与えられているのでしょうか?
私たちのように、家族という枠組みに入れない人間からすれば、
それ自体がすでに不平等です。

極論かもしれませんが、いっそ「全員が遺言を書かないと財産は国庫に帰属する」ぐらいで、ちょうど平等だと思っています。
配偶者や親族だから当然に相続できる、という仕組みこそが差別を温存している。
だとすれば、それをゼロベースで見直すことが、本当の意味での公平ではないでしょうか。

🌱 “家族像”に縛られない制度へ

これからの社会は、「結婚しているかどうか」に依存しない制度へと変わっていくべきです。

たとえば──

  • 配偶者控除を廃止し、子育て世帯や低所得の個人に手厚い控除を新設する
  • 第3号被保険者制度を廃止し、年金を“個人単位”で構築する
  • 相続に「生活実態による相続権」を導入し、法的婚姻の有無に関わらず保障する
  • フランスのPACS(連帯市民協約)のような、結婚とは異なるパートナー制度の整備を進める

制度をアップデートすれば、
結婚する人もしない人も、異性カップルも同性カップルも、
すべての人が対等に生きられる社会がつくれるはずです。

🗣️ 問いかけとしての結び

この“不公平の構造”は、私たち一人ひとりの生活に深く関わっています。
たとえば、あなたが病気や老後を迎えたとき、
そばにいてほしい人が「制度上の他人」だったら──そのとき、何が起こるか想像できますか?

誰もが、自分らしく、安心して暮らせる社会のために。
そろそろ制度のほうが、私たちの生き方に追いつく時ではないでしょうか。


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🧭 見落とされた苦しみ──ゲイと就職氷河期世代が感じた孤独

🌫️ 救われなかったふたつの輪

私はゲイであり、就職氷河期の入り口で社会に出た世代でもある。
どちらか一方だけでも、社会との“ズレ”を感じるには十分だ。
それが重なった時、私の人生には「理解されない苦しさ」と「救われないまま流される無力感」が、静かに根を張ったような気がする。

社会の中で、自分という存在が“想定外”として扱われること。
それは、目に見える差別よりもずっと深く、人を沈黙に追いやる力を持っていた。

🏢 就職氷河期──「努力」ではどうにもならない壁があった

バブル崩壊後の数年間、企業は新卒採用を絞り込んだ。
1996年から2000年頃、私のまわりでも「就職先が見つからない」と嘆く声があふれていた。
多くの若者が派遣やアルバイトに流れ、キャリアのレールから外れていった。

「努力が足りない」と切り捨てるのは簡単だ。
でも、そう言い切れるほど、当時の社会は“やり直し”に寛容ではなかった。
むしろ、「一度外れた者は戻ってくるな」と言わんばかりの閉鎖的な構造がそこにはあった。

🧍‍♂️ ゲイとして生きる──制度の外側にいるという感覚

同性婚もなければ、配偶者控除も、遺族年金もない。
長年連れ添っても、法律の上では「ただの他人」。
ふたりの関係性は、制度によって見えないものにされてしまう。

異性愛を前提とした仕組みの中で、「見えない存在」として暮らすこと。
それは日々の暮らしのあらゆる場面で、静かに心を削っていく。
そして、「どうせわかってもらえない」と、声を失っていく。

🧱 救済の網にかからなかった共通点

就職氷河期も、ゲイも、切り口は違う。
でもどちらにも共通しているのは、「社会の想定から外れていた」という点だ。

  • 就職氷河期は「失敗した若者」とされ、自己責任論で片付けられた。
  • ゲイは「想定されていない家族形態」として、支援の対象外とされてきた。

どちらも、制度の中に“初めから居場所がなかった”。
だからこそ、どれだけ困っていても、救済の網にかからなかったのだ。

🏛️ 社会が見なかったふりをしてきたこと

氷河期世代に対しても、性的少数者に対しても、
行政や企業は長らく“見ないふり”をしてきた。

それは、対応しきれなかったからではなく、
「対応しないことで何も変えなくてよくなる」からだ。

個人の問題に見せかけて、社会全体の課題を先送りする──
そうした構造が、私たちを「黙らせる力」として機能してきた。

🌱 救済とは、帳尻を合わせること

私は、優遇してほしいわけではない。
ただ、「はじめから制度に入れてもらえなかった」人が、ようやく隣に並べるようにすること──それが救済だと思う。

氷河期の若者も、ゲイのカップルも、
本当は“普通に生きたい”だけだった。

💬 この文章を読んでくれたあなたへ

ここまで読んでくれたあなたが、何かを変える立場にあるとは限らない。
でも、もし日常のなかで、ふと誰かの“取りこぼされた痛み”に気づくことができたなら──
それだけでも、この社会は少しずつ変わっていけると、私は思う。

たとえば、周囲にいる“声を出しにくい誰か”に、耳を傾けてみること。
「そんなことあるんだね」と、ただ受け止めてみること。

そんな小さな一歩が、黙ってきた誰かの心を、そっと軽くしてくれるかもしれない。


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