🧭 見落とされた苦しみ──ゲイと就職氷河期世代が感じた孤独

🌫️ 救われなかったふたつの輪

私はゲイであり、就職氷河期の入り口で社会に出た世代でもある。
どちらか一方だけでも、社会との“ズレ”を感じるには十分だ。
それが重なった時、私の人生には「理解されない苦しさ」と「救われないまま流される無力感」が、静かに根を張ったような気がする。

社会の中で、自分という存在が“想定外”として扱われること。
それは、目に見える差別よりもずっと深く、人を沈黙に追いやる力を持っていた。

🏢 就職氷河期──「努力」ではどうにもならない壁があった

バブル崩壊後の数年間、企業は新卒採用を絞り込んだ。
1996年から2000年頃、私のまわりでも「就職先が見つからない」と嘆く声があふれていた。
多くの若者が派遣やアルバイトに流れ、キャリアのレールから外れていった。

「努力が足りない」と切り捨てるのは簡単だ。
でも、そう言い切れるほど、当時の社会は“やり直し”に寛容ではなかった。
むしろ、「一度外れた者は戻ってくるな」と言わんばかりの閉鎖的な構造がそこにはあった。

🧍‍♂️ ゲイとして生きる──制度の外側にいるという感覚

同性婚もなければ、配偶者控除も、遺族年金もない。
長年連れ添っても、法律の上では「ただの他人」。
ふたりの関係性は、制度によって見えないものにされてしまう。

異性愛を前提とした仕組みの中で、「見えない存在」として暮らすこと。
それは日々の暮らしのあらゆる場面で、静かに心を削っていく。
そして、「どうせわかってもらえない」と、声を失っていく。

🧱 救済の網にかからなかった共通点

就職氷河期も、ゲイも、切り口は違う。
でもどちらにも共通しているのは、「社会の想定から外れていた」という点だ。

  • 就職氷河期は「失敗した若者」とされ、自己責任論で片付けられた。
  • ゲイは「想定されていない家族形態」として、支援の対象外とされてきた。

どちらも、制度の中に“初めから居場所がなかった”。
だからこそ、どれだけ困っていても、救済の網にかからなかったのだ。

🏛️ 社会が見なかったふりをしてきたこと

氷河期世代に対しても、性的少数者に対しても、
行政や企業は長らく“見ないふり”をしてきた。

それは、対応しきれなかったからではなく、
「対応しないことで何も変えなくてよくなる」からだ。

個人の問題に見せかけて、社会全体の課題を先送りする──
そうした構造が、私たちを「黙らせる力」として機能してきた。

🌱 救済とは、帳尻を合わせること

私は、優遇してほしいわけではない。
ただ、「はじめから制度に入れてもらえなかった」人が、ようやく隣に並べるようにすること──それが救済だと思う。

氷河期の若者も、ゲイのカップルも、
本当は“普通に生きたい”だけだった。

💬 この文章を読んでくれたあなたへ

ここまで読んでくれたあなたが、何かを変える立場にあるとは限らない。
でも、もし日常のなかで、ふと誰かの“取りこぼされた痛み”に気づくことができたなら──
それだけでも、この社会は少しずつ変わっていけると、私は思う。

たとえば、周囲にいる“声を出しにくい誰か”に、耳を傾けてみること。
「そんなことあるんだね」と、ただ受け止めてみること。

そんな小さな一歩が、黙ってきた誰かの心を、そっと軽くしてくれるかもしれない。


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