🏢「二流」が混じる職場だった──新卒で入った松下電器の子会社
僕が新卒で入社したのは、松下電器産業の子会社。
R&D部門の“流動的な人材派遣”をミッションとする会社で、福利厚生や給与体系、組合まで本体と同じでした。
現場では、松下電器本体の社員と一緒に働くことも多く、彼らの入社難易度を思うと、「僕らみたいな二流が、同じ高待遇でいいのかな…」なんて、どこか後ろめたさを抱えていました。
配属は関東の支社。全体の1割程度の小所帯で、どこか肩身の狭さを感じていた気がします。
今思えば──
単科大学というマイノリティ、関東支社というマイノリティ、そしてセクシャリティでもマイノリティ。
僕は、常に「少数派」として生きてきたんだなと、今になって気づきます。
🎖️出世とマイホーム、そして“順風”だった20代
学部卒ながら、院卒の同期と同じ年に技師に昇格。出世は早い方でした。
一方で、生活はそれなりにカツカツ。クレジットローンを組み、先輩からお金を借りることもありました。
でも30歳のとき、思い切って新築マンションを購入(2000年)。
横浜駅徒歩圏の物件が3,000万円以下で買えた、まだ希望に満ちた時代です。
📉親会社の業績悪化──そして転機が訪れる
2000年代に入ると、松下電器産業の業績が悪化。
東京のR&D部門は縮小され、僕が所属していた東京支社は閉鎖に。
当然のように「大阪本社への転勤」を命じられました。
でも、すでにマンションも買い、パートナーと同居していた僕は、転勤を拒否して転職を決意します。
🎰興味だけで選んだ「パチスロ業界」、しかし…
転職先は、パチスロ『吉宗』で有名な大都技研の関連会社。
パチンコホールの出玉・景品・顧客管理システムを開発する部署で、パチスロ好きだった僕には魅力的な業界に思えました。
が、現実は想像以上のブラック企業。
「家に帰れるのは3日に一度」なんて当たり前で、「これはまずい」と感じて、次の転職を模索。
🧳「腰かけ」のつもりが、10年以上続いた会社
次に入社したのは、徒歩5分の小さなソフトウェア会社。
経歴を買われ、松下時代と同水準の給与を提示されました。
「とりあえず」入ったつもりが、気づけば10年以上。
何度も転職活動をしましたが、最終選考で落とされ続け、次第に年収も上がらず、40代後半にはこんな思いがよぎりました。
「ああ、僕は負け組だな……」
💹でもその会社が、まさかの東証上場へ
まさかのどんでん返しが起きたのは、その“腰かけ”の会社が東証に上場したとき。
社内持株制度やストックオプションで手にした株が、20倍以上に化けました。
これが、僕がFIREを実現できた理由です。
FIREが「勝ち」だとは思いません。
でも、負け組だと思っていた僕がFIREできたというのは、本当に“運”だったと思っています。
📺そして今、パナソニックが大規模リストラ──あのままいたら?
そんな矢先に飛び込んできた、パナソニックの大規模リストラのニュース。
辞めずにいたら、きっと今ごろ整理の対象だったでしょう。
独身の僕ならまだしも、家庭を持つ同期たちにとって、このタイミングでの転職は本当に厳しいはずです。
特に、僕のいた子会社は社員に主体性がない人が多く、上からの命令に従うばかりだったから、なおさら心配になります(今は違うと願いますが)。
去年は20年ぶりに同期と会って、みんな元気そうだったけど──
今年は……声をかけて会う勇気がない。
🌱いま思うこと──「間違えた道」が、実は“最短ルート”だったのかもしれない
20代でマンションを買い、30代でキャリアを手放し、40代で自信を失いかけた──
そんな僕がFIREにたどり着いたのは、誰かが描いた“正解ルート”ではなく、
無駄に見えた選択と、行き当たりばったりの積み重ねでした。
でも、それでもいいのかもしれない。
むしろ、「寄り道こそが、僕の道だった」と、いまは思えるんです。
そしていま、
行き当たりばったりの僕が、不動産賃貸で“事業的規模”になるなんて、FIREしたときには想像もしていませんでした。
最近は、ブログの更新に1日の大半を費やす日もあります。
この先どう転んでいくのか──
その答え合わせは、きっと60歳になったときにわかるのでしょう。
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