🌌 選べない欲望、叶わぬ現実

🧲 あなたの欲望は、本当にあなたが選んだものですか?

私たちは、自分の欲望を自由に選んでいると思いがちです。
「誰を好きになるか」「どんなものに惹かれるか」──でも、それって本当に自分で決めたことでしょうか?

ある人は異性に惹かれ、ある人は同性に惹かれる。
ある人は特定のフェティッシュを持ち、またある人は性的関心を抱かない。
それは選んだ結果というより、最初からそうだったという感覚に近いのではないでしょうか。

もし、欲望が選べないものだとしたら──
それを「実現できるか、できないか」は、自分の努力ではどうにもならない、ある種の“運”のようなものかもしれません。

🚧 欲望は選べない。でも、社会には線引きがある

欲望そのものは、自分の意思で選べるものではありません。
けれど、それをどう扱うか──実行に移すかどうかは、社会の倫理やルールの中で慎重に判断されるべきものです。

たとえば、僕のようなゲイは、大人同士で合意があれば、その関係を築くことができます。
けれど世の中には、たとえば子どもに対する性的関心(いわゆるロリコン)や、誰かを傷つけたい・殺したいという衝動を抱えてしまう人もいます。
そういった欲望は、たとえどんな事情があったとしても、実現してはならないという明確な社会的線引きの中に置かれています。

では、なぜ社会は一部の欲望を「禁止」するのでしょうか。

それは、個人の自由と尊厳を守るためです。
誰もが安全に、安心して生きられる空間を維持するために、社会は一定の基準を設け、「ここから先は越えてはならない」という線を引きます。
その線は、時に厳しく見えるかもしれませんが、誰かを守るための枠組みとして、必要不可欠なものなのです。

🥀 実現できない欲望を持った人は「困難さ」を抱えている

欲望の種類によって、社会から許容されるかどうかが決まり、それはときに、その人の人生を大きく左右します。
この違いは、本人の人間性の問題ではなく、社会の構造や価値観によって生まれるものです。

ゲイとして生きてきた僕にも、「わかってもらえない」苦しさはありました。
でも、恋愛や性を誰かと分かち合える可能性はある。

一方で、倫理的に絶対に実現してはならない衝動──
たとえばロリコン的な関心や、殺意のような破壊衝動を抱えてしまった人には、その可能性すらありません。
社会のルールによって、永続的に否定されるしかない欲望を抱えて生きるということです。

もちろん、そうした欲望を肯定することはできません。
でも、それを抱えて生きることの困難さは、想像を超えるものがある。
自らの意思では選べなかったものと向き合いながら、それを実現せずに生きていく──
その状況に、僕は静かに思いを寄せずにはいられません。

🫂 許容ではなく、想像するということ

ここで伝えたいのは、「理解して受け入れてほしい」という願いではありません。
そして、社会がそうした行為を否定する理由も、十分に理解しています。

子どもを守るために。暴力を未然に防ぐために。
社会が安定し、人々が安心して生きていくために──
私たちは、「超えてはならない一線」を定め、共有しています。

でもその線の向こうに、誰にも言えない欲望を抱えながら、静かに生きている人がいるのもまた事実です。

「理解できない」と遠ざけるのではなく、
「そういう人もいるかもしれない」と、想像してみること。
それは、必ずしも同意や許容を意味するのではなく、
人としてのまなざしを向けるということなのだと思います。

🪄 仮想世界が、実現できない欲望の“居場所”になる時代へ

いま、テクノロジーの進化によって、「この世界では実現できない欲望」に対して、仮初の“出口”が与えられつつあります。

VRやAI、シミュレーションの中では、現実では到底許されない行為や関係性が、仮想という安全圏でのみ体験されるという選択肢が広がっています。
こうした空間は、誰も傷つけずに衝動を処理するための、擬似的な居場所になりうるかもしれません。

たとえば、暴力的なゲームが現実に与える影響について、これまで繰り返し議論されてきました。
多くの人は、現実とフィクションの違いを理解した上で楽しんでいますが、一部の人にとってはその境界が曖昧になることもあるという事例も、また現実に存在しています。

だからこそ僕は、仮想空間の可能性とともに、その危うさにも目を向ける必要があると感じています。

仮想が現実に侵食してしまわないように──
私たちは、ただ技術に任せるのではなく、それを扱う側の人間が、しっかりとしたルールや倫理観を持つことが求められていると思います。

「これは仮想だから大丈夫」という安易な使い方を避け、
現実の安全と、人間の尊厳を守るために、仮想空間の在り方にも社会的な目線が必要なのです。

テクノロジーが希望をもたらすなら、
その希望が暴走しないための、もう一つの“想像力”が必要だと、僕は思います。

🌱 想像力がひらく、少しだけ優しい社会

誰にも言えない衝動を抱えて生きている人は、きっとたくさんいる。
そして、それを「選んで」そうなったわけではない人も、いるはずです。

わかってもらえないことは、不幸かもしれません。
でも、誰かがわかろうとしてくれたと感じられたなら──
そのとき、世界はほんの少しだけ、やわらかく見えるかもしれない。

現実では報われないことも、もしかしたら別の形で、ほんの少し報われるかもしれない。
その可能性を閉ざさずに想像し続けること。
その小さな想像力こそが、これからの社会を優しくする鍵になると、僕は信じています。


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